DeMARINI
HISTORY AND OVERVIEW

DeMARINI HISTORY AND OVERVIEW

始まり

1989年Ray DeMARINI(レイ・ディマリニ)によってアメリカ オレゴン州 ヒルスボロにて設立。 身長170センチ余りの小柄なソフトボールプレーヤーだったディマリニは、自身の技術を高めるためのバットと、科学的トレーニング法の研究に没頭した。これがディマリニ社の起源となる。当時、販売代理店はなく、広告宣伝費も全くなかった。ディマリニは、自身が開発した高性能バットを直接ユーザーに販売することで少しずつ成長を遂げた。

「最初は何もなかった。仕事場は薄汚れた小さな納屋で、食べていくような金さえなかった。ひどくみじめで、それでいて最高に楽しかった」

ディマリニのバット製作はここから始まった©DeMARINI

大手企業が大衆向けにごく普通のバットを量産している中、ディマリニはプロやアマチュア選手たちのために手作りの高性能バット作りを貫いた。選手たちのスポーツへの情熱とあいまって、後にこの姿勢がソフトボールの歴史に革新を起こすこととなる。

世界初の多重管バット

1993年、世界初のダブルウォールバットを発売。打球部に二重管を用いたこのバットは、広範囲のスウィートスポットを持ち、プロ並みのバッティングを可能にする画期的なバットとして爆発的な販売を記録した。間もなく、他社もこの多重管バットの類似品製造に乗り出す。ソフトボールファンの指示を受け、ダブルウォールテクノロジーの元祖ディマリニは、業界をおおいに揺るがす存在となる。

相乗効果

2000年、ディマリニ社は次世代のヒッティング技術を世界に広めるべく、ウイルソン社と合併した。両社とも「プレーヤーに最高の道具を提供する」という共通のビジョンを持っていた。ウイルソンはグラブ、ボール、防具を生産・販売する野球業界の大手であり、ディマリニは世界でもっとも優れたバット開発技術を持つバット専門メーカーだった。両社の統合は最高の引き合わせだった。Wilsonとの合併を報じる記事

©DeMARINI

ディマリニが描いた夢「ハーフ&ハーフ」

ウイルソンと合併した翌年の2001年、レイ・ディマリニは癌のためポートランド北西の自宅にて死去。55歳だった。その後もディマリニの意志を受け継いだ技術者たちにより、ディマリニ社は高性能バットの開発を続ける。複合材のハンドルとアルミ合金の打球部を組み合わせた「ハーフ&ハーフ」テクノロジーを用い、2002年にダブルウォールの「F2」、2003年にシングルウォールの「Vexxum(ベクサム)」を発売。これらのバットは、インパクトの際に大きくしなるため、その効果で飛距離を伸ばすことができるほか、弱い力でもスイングスピードを上げることを可能にした。

体の小さなディマリニが、自身のプレーの助けとなるようなバットを開発することから始まったディマリニ社の夢は、こうして現実となった。DeMARINIのバットはアメリカのバット市場に旋風を巻き起こした

©DeMARINI

未来のバット

型破りで、独創的なアイデアをもとに生み出される商品の数々には、パフォーマンスを高めるためのバット開発に魂を注いだディマリニの精神が受け継がれている。

「全てのプレーヤーにパフォーマンスをもたらす高性能バットを作り続ける、その目的のために我々は存在する」 Insane Dedication to Performance (パフォーマンスの徹底追求) をミッションとし、新しいテクノロジーと新製品の開発に力を注ぎ続けている。

「キング オブ ソフトボール」と呼ばれた男、Ray DeMARINI(レイ・ディマリニ)Ray DeMARINI

©DeMARINI

40歳にしてプロソフトボール界に現れ、時速155キロの初速スピードを可能にするなど、科学的な練習方法を編み出したソフトボールの巨匠。1980年代後半よりプレーヤー向けのソフトボール番組に出演し、内野と外野の中間に打球を落とす反射打法を紹介するなど、斬新なアプローチでバッティング技術を伝授。彼が出演した家庭用ビデオ『Reflex Hitting System(レイ・ディマリニの反射打法)』は、今なお多くのプレーヤーが参考にしている伝説のトレーニングビデオとなる。

トレーナーとして知られるようになった後に彼が夢中になったのは、高性能バットの開発だった。技術者のマイク・エッジマンと共に地道な製作販売活動を行い、後に世界初の多重管バット、一般向け高性能バット、ジュニア向け高性能バットなど、画期的なバットを生み出す。

2001年12月、癌のためポートランド北西の自宅にて死去。翌夏、ポートランド・ソフトボール協会は「King of Softball」、ディマリニへ敬意を表し、かつて彼が商品を試打するのによく利用していたお気に入りの球場に「レイ・ディマリニ球場」の名を捧げた。

数々の高性能バットを生み出した優秀なバットメーカーであり、今日のプレーヤーにとっての偉大な指導者であったディマリニの名は今、彼の功績と共に「レイ・ディマリニ球場」の外野に刻まれている。