HISTORY

1913 - 1922
1913副産物の画期的ビジネス

誰も見向きもせずに捨てられていた精肉後のスジや皮。そうした副産物を再利用、更にそれをビジネスにできるのではと考えたのが精肉業者のシュバルツチャイルト&ザルツバーガー社(Schwarzchild and Sulzberger)です。同社は、そのビジネスの実現に向けて、アシュランド・マニュファクチャリング社(Ashland Manufacturing Company)を設立します。こうして、米国シカゴに誕生した会社が、実はウイルソンの前身なのです

1914早くも自社製品が世に

アシュランド社は、それまで捨てていた精肉の副産物を利用する研究を推進。そして、外科用の縫合糸と廉価なテニスラケット、ラケットのストリング、2種類の野球用シューズを開発して、商品化にまでこぎつけます。初代の統括マネージャーを務めたのが、初期のスポーツ用品業界を代表する専門家の一人であるE. C. シートンです。彼が打ち出した方向性に沿って、アシュランド社はスポーツ用品ビジネスの世界へ踏み込みます。設立後1年足らずでアシュランド社は、スポーツ用品に専念すべく親会社から独立。革新的な技術と品質を武器に会社を大きく成長させて、アスリートとスポーツ界への貢献を目標として掲げ、躍進をはじめたのでした。

191575セントのテニスラケット

フットボール用ジャージ、バスケットボールや室内野球用のボールを製品ラインに追加し、75セントのスター・テニスラケットを発表。

1916大統領の名前を社名に

ニューヨークの銀行に買収されたことを機に、当時全米で絶大な人気を誇った第28代大統領ウッドロー・ウイルソンにあやかり、社名を“ウイルソン”と変更……と思いきや、世の中そんなにうまくはいきません。米国法務局から大統領の名前の使用禁止通達が出されてしまいます。そこで、苦肉の策として、当時は一介の従業員に過ぎなかったトマス E.ウイルソンをなんと社長に抜擢して、社名をトマス E. ウイルソン社(Thomas E. Wilson Co.)に変更します。

社名変更後に、運動競技用のユニフォームや衣料品を製造するために、へッツインガー・ニッティング・ミルズ(Hetzinger Knitting Mills)を買収します。会社があまりにも急成長したため、これまでの社屋ではあまりにも窮屈になり、急遽、シカゴのサウスサイドにある赤レンガ造りの廃校を自社ビルにして移転。更に、ゴルフバッグの製造ラインも確立できたらと、キャディー・バッグ工業(Indestructo TM Caddie Bag Co.)を吸収合併。それまでは様々なバッグを生産していましたが、ゴルフバッグに特化し生産を続けます。

“J-4バスケットボール”と“A-5フットボール”を発表。

1917画期的な保証期間

トマス E.ウイルソン社は、すべての製品を無条件で2年間保証するという、当時としては画期的な広告を“サタデーイブニングポスト誌”に掲載しました。この広告は、まさにスポーツ用品業界を震撼させる大きな事件となります。技術が発展した今でこそ2年間の製品保証も当然といえば当然ですが、今から80年近く前に長期保証を打ち出すというのは、まさに商品への自信と愛着の証しにほかなりません。この年に、ゴルフクラブの製造も開始して、フットボールのヘルメットも製品ラインに追加。さらに、ティンカー・エバース・チャンス(Tinker-Evers-Chance)というニックネームで知られた内野手のジョー・ティンカー(Joe Tinker)を野球部門の営業部長に迎えます。

1918公式バスケットボールに

トーマス E.ウイルソン社は、更なる商品の向上や新商品への探求に向けて、上級管理職の刷新に踏み切ります。新社長には、L. B. アイスリー(L.B. Icely)が就任。新社長の下で品質の向上を目指した結果、会社はさらなる急成長を遂げ、売上げも百万ドルの大台に乗ります。また、2年前に発表した “J-4バスケットボール”がAAUナショナル・チャンピオンシップスのオフィシャルバスケットボールとして採用されます。

1919本格的な宣伝活動を開始

品質の向上と新製品開発に力を注ぐ一方で、トーマス E.ウイルソン社は、マーケティングにも力を入れ始めます。その一環として実施したのが、当時としては画期的な共同販促プログラムであるディーラー・エイド(Dealer-Aid)です。このプログラムで販売店との協賛による広告宣伝活動を推進した結果、売り上げは50%の伸びを記録。生産能力が追いつかないほどの成功を収めます。

続いて、シカゴ・スポーティング・グッズ社(Chicago Sporting Goods Co.)を買収してユニフォーム製造分野に進出。さらに、上質な革製品の製造で知られていたオハイオ州カントンのセルズ・マニュファクチャリング社(Sells Manufacturing Co.)も買収します。セルズ社には、トップクラスの職人が多数在籍していましたが、そのうちの一人が、業界で特に有名だった革職人のアーチ・ターナー(Arch Turner)です。ターナーがデザインしたボールが、その後何年もたってから、フットボールのゲームが大きく様変わりするきっかけとなるとは、この当時の誰も予想してはいなかったでしょう。投げやすく、受けやすく、どんな天候でも扱いやすいターナーのボールこそが、前方へのパスによる攻撃という近代フットボールの戦法が生まれる源流となったのです。

トーマス E.ウイルソン社はまた、ウエスタン・スポーティング・グッズ社(Western Sporting Goods)と販売契約を結んでユニフォームのトップメーカーとなったほか、野球チームのシカゴ・カブスのオフィシャル・サプライヤーにもなりました。

1920JHブランドの誕生

トーマス E.ウイルソン社は、シカゴ・スポーティング・グッズ社(Chicago Sporting Goods Co.)とナショナル・バスケット社(National Baseball Manufacturing Co.)を買収して、成長を続けました。ゴルファーのジョック・ハチスン(Jock Hutchison)が最初の契約スポーツ選手となり、彼のイニシャルを取った“JH”ラインのクラブが開発されました。

1921日本初のデビスカップ参加

清水善造がウィンブルドンでオールカマー制度準決勝に進出。世界4位にランキングされます。熊谷/清水/柏尾の3選手が日本人として初めてデビスカップに参加し、チャレンジラウンドに進出しました。

1922ジーン・サラゼンの登用

トーマス E.ウイルソン社は、キャッチャーミットのレイ・シャーク507を発売。そのパッドの工夫と、はめ心地のよさが業界の標準となりました。さらに、パシフィック・コースト・リーグとイースタン・リーグがウイルソンの野球ボールを公式ボールとして採用。ロジャー・ホーンズビーが三冠王に選ばれたのもこの年です。【PHOTO:レイ・シャーク(Ray Schalk)のキャッチャー・ミット】


この年の感謝祭の日に、ゴルファーのジーン・サラゼン(Gene Sarazen)をスポーツ選手としては初の顧問として迎えます。サラゼンは、U.S.オープンで2回、PGA TM選手権で3回優勝したほか、全英オープン、マスターズも制覇した華々しいキャリアの持ち主で、PGA TMの殿堂入りも果たしています。サラゼンの顧問就任が、後のウイルソン・アドバイザリー・スタッフの誕生につながります。【PHOTO:最初のアドバイザー、ジーン・サラゼン】

1923 - 1932
1923ベーブ・ルース モデル

野球のことは知らなくても、この人の名前を知らない人はいないのではないでしょうか? そう、あのベースボールの神様と言われているベーブ・ルースのオリジナルグローブ“ベーブ・ルース モデル605”が発売されました。

1924ダブルラインで記録更新

サラゼンを筆頭として、ウイルソン・アドバイザリー・スタッフが産声をあげます。

フットボール分野でも、強力な人材がアドバイサリー・スタッフに参加します。それが、真のイノベーターと賞賛されていたノートルダム大学のコーチ、ヌート・ロックニー(Knute Rockne)です。ロックニーに定期的にウイルソンの工場を訪問してもらい、選手の声や試合での出来事を製品に反映させた結果、ダブルラインの新しいフットボールが誕生。ノートルダム大学のファイティング・アイリッシュ(Fighting Irish)に採用されることになりました。

イリノイ大学のレッド・グレーンジ(Red Grange)が、ミシガン大学との総獲得距離480ヤードの試合で、5回のゴールをタッチダウンで決め、6回めをスローイングで決めるという快挙を成し遂げました。

また、セントルイス・カーディナルスのロジャー・ホーンズビーが、.424の記録を達成しました。

1925へそを取ることに成功

ロックニーとの共同開発によって、バルブで膨らませる形式のフットボールが誕生します。このボールには空気注入用のつまみが不要ななので、それまでは紐の下にねじ込んでいた邪魔な“へそ”がなくなります。ロックニーの功績を称えて、彼の名前がボールに刻まれました。1919年頃に革職人のアーチ・ターナーがデザインしたボールの伝統が受け継がれた、揺れのない美しい螺旋を描いて空を舞う“KR”フットボール。このボールが、今日のパス攻撃スタイルのフットボールゲームの発展に大きく貢献することになります。【PHOTO:Knute Rockneフットボール】


メジャーリーグのロジャー・ホーンズビーが1922年に続いて2度目の三冠王に選ばれました。また、前年に大活躍したレッド・グレーンジが、シカゴ・ベアーズに入団し、シカゴを本拠地とするトーマス E.ウイルソン社のスポークスマンもつとめることになりました。そして、この年の中旬、社名をトマス E. ウイルソン(Thomas E. Wilson Co.)からウイルソン・ウェスタン・スポーティング・グッズ社(Wilson-Western Sporting Goods Company)に変更しました。

ところで、皆さんは、昔のテニス・ボールのパッケージをご存じですか? 当時は、紙で包んだボールを四角い箱に入れて販売していました。今では一般的な、筒型の容器も元々はウイルソンが開発したものです。この年、紙製の筒に金属製の上蓋と底を付けた新しい容器を完成したウイルソンは、これを“防湿容器入りのテニスボール”として大々的に宣伝して販売、テニス界に旋風を巻き起こしたのでした。

1926原田武一の活躍

ベ−ブ・ル−スが本塁打自己最高の59本でタイ記録を達成します。また、当時の日本を代表するテニスプレイヤー、原田武一がチルデンとアロンゾにつぐ全米3位、世界でも7位にランキングされます。

1927新しいテニスボール容器

ウイルソン・ウエスタン社は、業界初の試みとして、若者向けのスポーツ用具を特別のパッケージに入れて発売します。また、完全密封容器のテニス・ボールを世に送り出し、業界を大きくリードすることになります。

1928今度はパンツで旋風

この年、ロックニーと共同開発した新しい発想のフットボール・パンツを世に送り出して、再びフットボール業界を震撼させます。このフットボール・パンツは、選手たちがより自由に身体を動かせるようにパッドの取り外しができるようになっていました。【PHOTO:ウェストライン・フットボール・パンツ】

1929第一回庭球選手権大会開催

日本ではこの年に、第一回全日本学生庭球選手権大会が東京の上井草で開催されました。

1930サッカー・ワールド・カップ

サッカーのワールド・カップが始まったのがこの年です。

1931大きな悲しみの後に

この年、衝撃的な事故が起りました。アドバイサリー・スタッフのヌート・ロックニーと経理部長のジョン・ハッパー(John Happer)の乗った飛行機が墜落し、乗客全員が死亡。指導的立場の二人を失ったウイルソン・ウエスタン社は、大きな悲しみに包まれました。

しかし、この悲劇を乗り越えて、ロウ & キャンベル社(Lowe & Campbell Co.)とホラース・アンド・パートリッジ社(Horace and Partridge Co.)と、次々と大型合併を実現。販売量が飛躍的な増大しました。さらに、会社の正式名称をウイルソン・スポーティング・グッズ(Wilson Sporting Goods Co.)に変更しました。

1932アイデアと閃きの年

ネブラスカ大学のフットボール・コーチ、ダナ X. バイブル(Dana X. Bible)がアドバイザリー・スタッフに参加して、2種類のヘルメットとショルダー・パッドの開発に大きく貢献しました。

一方、ゴルファーのジーン・サラゼンは、飛行機に乗っているときに思いついた新しいクラブヘッドのアイデアを基に、砂の上をスムーズに滑るクラブヘッドを完成。それを使ったサラゼンは、この年の全英オープンでみごと優勝します。R-90という製品名で発売されたこのクラブは“エクスプロージョン・ショット”として親しまれ、この年だけでも50,000本も売れて、最も人気の高いサンド・ウェッジとなりました。

1933 - 1942
1933研究による成果

ゴルファーのウィリー・オッグ(Willie Ogg)がヘッドの先端への加重分散を考案。これによって、重量を周辺に分散した最初のゴルフクラブであるウイルソン・オッグ仕様のアイアン(Wilson Ogg-mented iron)が登場することになります。

1934KRボールが認定される

1935画期的なラケットの誕生

エルズワース・バインズ・シリーズに新たに4つのテニス・ラケットが追加されました。多様なバランスのラケットが揃い、プレーヤーはヘッド付近に重心のあるラケットやハンドル付近に重心のあるラケットといった、自分のテニススタイルに合ったラケットが選べるようになりました。

1936日本職業野球連盟誕生

日本ではこの年、日本職業野球連盟が結成されます。

1937アドバイザリーの業績

25才のサム・スニード(Sam Snead)がプロ・ゴルファーとしてデビューし、直後にウイルソンと契約を結びます。スニードはその後、PGA TM とマスターズでそれぞれ3回、全英オープンで1回の優勝を飾ることになります。

テニス分野では、史上初のグランドスラマーとなるドン・バッジ(Don Budge)とも契約を結びました。

1938プレーヤーにちなんで命名

この年、ブルー・リッジ(Blue Ridge)ゴルフ・クラブがウイルソンの製品ラインに加えられました。名プレイヤー、サム・スニードの生まれ故郷であるバージニア州の町の名前でもあるブルー・リッジは、その後50年以上も製造される定番製品となります。

テニス分野では、ウイルソン・アドバイザリー・スタッフに加わったドン・バッジにちなんで名づけられた2つのラケット、ゴースト(The Ghost)とファントム(The Phantom)が誕生しました。

1939ゴルフクラブの大技術転換

ウイルソンの技術者が油圧制御技術を使って、木材の層を十字パターンに接着することに成功。よりパワフルに、思いのままの方向に打てるだけでなく、耐久性も向上したゴルフクラブが完成しました。層構造を成す木材の利用は、スチール・シャフト以来の大きな技術革新だといえます。さらに、同じ技術を応用したテニス・ラケットも開発され、ストラタ・ボウ(Strata Bow)という名前で製品化されました。

194022才のゴルファーの功績

22才のゴルファー、パティ・バーグ(Patty Berg)がアドバイザリー・スタッフに参加、すべてのメジャートーナメントで優勝を果たしました。バーグは通算80回のトーナメントで優勝し、ゴルフとウイルソンの大使として10,000回以上の指導とエキジビションを行いました。

野球の分野では“ストリームライン・シームレス・サム・モデル602”が誕生。「より優れた用具は、より優れたプレーを生む」というウイルソンのスローガンのもとに誕生した最高峰自信作となりました。【PHOTO:パティ・バーグ(Patty Berg)】

1941新しいデュークが誕生

パティ・バーグのカップ・ディフェンダー(Cup Defender)クラブを発表し、百万セット近くを売り上げました。

上質な素材、手縫い仕上げ、3枚の内張り、二重縫いの継ぎ目が特徴のウイルソンの新しいデューク(Duke)フットボールがナショナル・フットボール・リーグのオフィシャル・ボールに選定されました。

ウイルソンの契約選手でボストン・レッドソックスのテッド・ウイリアムス(Ted Williams)が打率4割6厘をマークし、メジャーリーグ史上初の4割打者となりました。

時は、第二次世界大戦中。ウイルソンが所有する工場も戦争に協力して、アメリカ兵が使うテントやダッフルバッグ、ヘルメットを製造することになります。

1942大日本体育会の創立

メジャーリーグでは、4割打者ロジャー・ホーンズビーが、野球の殿堂入りを果たしました。

日本では、英語のスポーツ用語が日本語に変更されます。

1943 - 1952
1943全米女子野球リーグ誕生

女性のプロ・ソフトボールリーグの全米女子野球リーグ(AAGBL)が誕生します。

1944ヘルムズ・アスレチック財団

戦時下にあってもウイルソンは、スポーツ振興のための努力を続け、事業の拡大と成長を維持し、ヘルムズ・アスレチック財団(Helms Athletic Foundation)によって「スポーツの向上に寄与する重要なプロジェクトの推進と運動競技への多大な貢献を果たしている」と賞賛されます。若者をターゲットにした広告も高く評価されました。

この年、ウォルター・ハーゲン(Walter Hagen)シリーズがウイルソンのゴルフ製品に加わりました。

1945第二次世界大戦終結

ドイツが連合国に無条件降伏、日本もポツダム宣言を受諾して、第二次世界大戦が終結します。平和が戻り、スポーツの復興も始まりました。

1946テッド・ウィリアムズ

テッド・ウィリアムズ(Ted Williams)がアドバイザリー・スタッフのメンバーに加わりました。彼は、オールスター選手に選ばれること13回、通算打率も .344を記録しています。

1947ジャック・クレイマー

衣料品の製造拠点をテネシー州クックヴィルに移転しました。

この年から、近代テニスの父であるジャック・クレイマー(Jack Kramer)とウイルソンとの長い交友関係が始まります。世界チャンピオン、コメンテーター、ディレクター、オーガナイザー、テニス用品のコンサルタントなどいくつもの顔をもつクレイマーは、個人としては他の誰よりもテニスの普及・発展に努める功労者となります。【PHOTO:ジャック・クレイマー(Jack Kramer)】

1948ゴメス参加/PGAへの支援

殿堂入りを果たして球界を去ったヤンキースの伝説のピッチャーであるヴァーノン・レフティ・ゴメス(Vernon "Lefty" Gomez)が、ウイルソンのために多数の公演や慈善活動を開始。【PHOTO:ヴァーノン・レフティ・ゴメス(Vernon "Lefty" Gomez)】


現在のLPGA(The Ladies Professional Golfers' Association)の前身であるWomen's PGAが誕生。ウイルソンの社長 L. B. アイスリー( L.B. Icely)が財政支援を行ないました。設立記念のツアー・イベントが7回開催され、パティ・バーグと新たにウイルソンのスタッフ・メンバーとなったベイブ・ディドリクソン・ザハリアス("Babe" Didrickson Zaharias)がそれぞれ3回ずつ優勝しています。ザハリアスはこの時代のトップ・ゴルファーとして知られていますが、元々は陸上選手で、ゴルフに転向する前はアメリカ国内だけでなく世界でも数多くの記録を保持していました。後にザハリアスは、世界で最も偉大な女性アスリートとして伝説的な存在になります。

ウイルソンの組織はこの頃、15の工場と31の営業所/倉庫を擁しており、その歴史を通じて最大の規模に達していました。

1949永遠のベストセラー誕生

永遠のベストセラーモデルと言われているジャック・クレイマーのサイン入りテニス・ラケットが誕生します。このラケットの特長は、アッシュ材(セイヨウトネリコ)のみを使ったラミネート構造です。この後、1949年から1981年までの間に実に1,000万本以上が販売されることになるジャック・クレイマー・ラケットは、ジョン・マッケンロー(John McEnroe)やトレイシー・オースティン(Tracy Austin)、アーサー・アッシュ(Arthur Ashe)、クリス・エバート(Chris Evert)など数多くのプレイヤーに愛用され、ウィンブルドンや仏オープン、U.S.オープン、オーストラリア・オープンで、他のどのラケットよりも多くの優勝を経験することになります。

またこの年、ウイルソンはスポーツ用品業界ではじめて在庫管理にコンピューターを導入しました。【PHOTO:ジャック・クレイマーのサイン入りラケット】

1950新社長の就任

1918年からウイルソンの社長を務めてきたL. B. アイスリーが亡くなり、代わってフレッド・ボーマン(Fred Bowman)が新社長に就任しました。

1951アジア競技大会に日本が参加

日本選手団がインドのニューデリーで開催された第1回アジア競技大会に参加。また、日本のプロ野球が2リーグに分かれたのもこの年です。

1952リトル・モー

女子テニス界史上初のグランドスラマーであり、悲劇のプレーヤーとして映画にもなったリトル・モーことモーリン・コノリー(Maureen Connolly)と契約を結びました。

1953 - 1962
1953コメット(COMET)

コメット(Comet)として知られるようになったWilson KP-4は、最上級のレザーと丈夫な4層構造。品質の良さが認められ、この後30年間にわたりNBA™で採用され続けることになります。【PHOTO:Comet Basketball】

1954ベイブ・ザハリアス

ガンとの闘いを経て復帰したベイブ・ディドリクソン・ザハリアス(Babe Didrickson Zaharias)が、U.S.オープンなど4つのツアーで優勝しました。

1955手に吸いつくボール

この年のオハイオ州アーダのオハイオ・ケンタッキー社(Ohio-Kentucky Manufacturing plant)買収は、ウイルソンがフットボール・メーカーとしてリーダーシップを維持していくために非常に重要な決断だったと言えました。

TD™フットボールは製造プロセスで施された加工によって、手に吸い付くような感触がいつまでも失われないのを特長としていました。カレッジ・オールスター・ゲームで最初にこのボールが使われ、プレイヤーが「乾いた他のボールより湿ったTDのほうがつかみやすい」とコメントしています。【PHOTO:TD Football】

1956ドリルド・スルーホーゼル

米国テニス界でセンセーションを巻き起こしたモーリン“リトル・モー”コノリーがウイルソン・アドバイザリー・スタッフに加わりました。彼女は19才で、オーストラリア・オープン、仏オープン、ウィンブルドン、U.S.オープンを制覇するという前人未踏の快挙を成し遂げ、さらに毎年ウィンブルドンと U.S.オープンのタイトルを獲得し、21才までに“Woman Athlete of the Year”の座に輝くこと3回という輝かしい成績を残しました。

ブルックリン・ドジャーズのロイ・キャンバネラ(Roy Campanella)のサイン入りのダブル・ブレークを採用したキャッチャーミットを発表しました。

また、この年、ホーゼルからソールまで穴を貫通させ、ウエイトをヘッドに分散、スウィート・スポットに効率よくパワーを集中させたデザインのゴルフクラブ、ドリルド・スルーホーゼルを開発しました。

1957A2000グローブ

新しい野球用グローブが開発されました。ウイルソンの職人たちは皮革加工用具を携えて春のトレーニング・キャンプに赴き、選手たちの意見を取り入れ、徹底した改良を加えていきました。そうしてできたのが、ウェブの根元より深いポケット、従来よりもより広いウェブ。更に、スナップ・アクション(Snap Action™)機能で、グローブの素早い開閉を可能にしました。また、親指部分を堅くすることで型崩れを防止。こうした画期的な改良によって、守備プレーの水準が飛躍的に向上しました。新しいグローブを使うことで、すばやく確実なプレーができるようになり、見事な片手でのキャッチがゲーム中ごく普通に見られるようになったのです。このグローブには有名プレーヤーの冠はなくて、A2000というストック番号だけで有名になります。業界の歴史を通して今日にいたるまで、A2000はグローブのベストセラーを更新しつづけています。本社と研究開発部門、ゴルフクラブ工場をイリノイ州リバー・グローブに移転しました。【PHOTO:A2000™ Glove】

1958国立競技場が完成

日本ではこの年、国立競技場が完成。第3回アジア競技大会が開催されます。長嶋茂雄が巨人に入団したのもこの年です。

1959マリア・ブエノが二冠

マリア・ブエノ(Maria Bueno)が、この年のUSオープンとウィンブルドンの両方の女子シングルスで優勝しています。

1960ローマ・オリンピック開催

ローマの第17回オリンピック大会の体操で、 日本選手が男子団体で初優勝を含む金メダル四個を獲得します。

1961まず、西ドイツへ進出

西ドイツのヴィースバーデンに販売支社を開設。これを機に、ウイルソンは世界へと進出していきます。

1962世界各国へ

ウィンブルドン、ワイズバーデン、東京、香港と次々に支店をオープンし、プエルトリコのアグアディヤには野球の製造工場、さらにスコットランドのアービンにゴルフ工場を開設しました。

また、ウイルソン のアドバイザリ−スタッフであるウィルト・チェンバレンが、Wilson Cometのバスケットボールを使って、NBA記録の100ポイントを達成しています。

1963 - 1972
1963更なる事業規模の拡大

米国のテネシー州コリアーヴィルにあるマスター・ゴルフバッグ(Masters Golf Bag Co.)と、ニューヨーク州のコートランドでラケットを製造していたコートランド・テニス(Cortland Tennis Co.)を買収し、さらに事業規模を拡大させます。

1964部品製造が可能に

設立50周年を記念し、黒とゴールドのリースをあしらった販売促進用の特別アイテムを発表します。さらに米国テネシー州コリアーヴィルにある品質の高い玩具と外注成形製品の製造業者であったワンダー・プロダクツ(Wonder Products Co.)を買収。この新しい設備を使って、品質の高いフットボール防具や野球用レッグガードの部品を作ることが可能になりました。

この年、東京で第18回オリンピック大会が開かれ、日本選手は金メダル16個を獲得します。

1965女子ソフトボール初の国際トーナメント

ウイメンズ・ゴルフ・オープンが初めて全米でテレビ放送されます。

また、女子ソフトボールの初の国際トーナメントがオーストラリアのメルボルンで開催されます。開催国のオーストラリアが決勝でアメリカを1対0で破って優勝します。

1966ビリー・カニンガム

1965年のNBA™ドラフト1位で選ばれた選手、ビリー・カニンガム(Billy Cunningham)がアドバイザリー・スタッフに参加。その後長い間メンバーの一員としてウイルソンに貢献します。11シーズンの間76'ersでプレーした後、カニンガムは1977年から1985年までチームコーチをつとめ、1983年にワールド・チャンピオンシップを獲得。順位が2位以下に下がることは決してありませんでした。

1967大いなる転換期

リング・テムコ・ヴォート(Ling-Temco-Vought)がウイルソン・ミート・パッキング(Wilson Meat Packing)を買収。これによってウイルソン・スポーティング・グッズ(Wilson Sporting Goods)は米国ダラスを本拠地とする航空宇宙産業の巨大複合企業の子会社として再編成されることになりました。

フランスの元テニス・プレーヤーで企業家のルネ・ラコステ(Rene' Lacoste)によって、それまで使われることのなかったアルミニウム素材のテニス・ラケットがウイルソンに持ち込まれ、T2000として世に送り出されます。トーナメントプロのジミー・コナーズ(Jimmy Connors)が使用したT2000の“steelie”は、力強くかつ軽量なラケットで、すべての販売記録を塗り替える大ヒット商品となります。

更に、女子プロテニスの創始者ともいわれているビリー・ジーン・キング(Billie Jean King)がアドバイザリー・スタッフに参加しました。【PHOTO:T2000ラケット】

1968ウイルソンの広告コピー

ウイルソン社の目標がスポーツの振興であることを明確に示す広告シリーズを展開。この広告シリーズは批評家から絶賛され、広告のコピー(複製)を求めるお客様からのリクエストが殺到しました。

製品の入出荷を集中管理するシステムがナッシュビルで稼働開始しました。

1969全英テニスで沢松和子が優勝

全英テニスのジュニア女子選手権で沢松和子が優勝。

スーパーボウルでは、ニューヨーク・ジェッツが大方の予想を裏切ってバルティモア・コルツを破り、アメリカン・フットボール・リーグのチームとして初のスーパーボウル勝利を獲得しました。

1970ペプシコ社による買収

この年、ソフトドリンクやスナックフードで有名なペプシコ社(Pepsico Inc.)に買収されます。畑違いの買収についてペプシコは、スポーツ業界におけるウイルソンのリーダーシップと高品質のイメージ、将来性を買収の理由として挙げています。

フットボールのナショナル・リーグとアメリカン・リーグが合併。それに伴って、安定した品質が評価されたウイルソン製品がNFL™のオフィシャル・ボールに選ばれました。

カナダのオンタリオ州ベルビルに販売支社とゴルフクラブ工場を開設しました。【PHOTO:NFLオフィシャル・ボール】

1971一流テニスプレーヤーと契約

「コートの紳士」と呼ばれていたスタン・スミス(Stan Smith)、パワーテニスを生み出したジミー・コナーズ(Jimmy Coners)、天才プレーヤーのジョン・マッケンロー(John McEnloe)、アイスドールのニックネームを持つクリス・エバート(Chris Evert)らと契約を結びました。

米国の宇宙飛行士アラン・シェパードが月面でゴルフのスイングを披露。そのとき使ったクラブは、Wilson Staff Dyna Powerアイアンでした。

1972日本人プレーヤーとも契約

前年のテニスプレーヤーとの契約に引き続いて、トム・カイト(Tom Kite)やアンディー・ビーン(Andy Bean)、ジェリー・ペイト(Jerry Pate)など、ゴルフ界で活躍していたプレーヤーとの契約も締結します。さらに、大リーグ史上最高の三塁手といわれているジョージ・ブレッド(George Bread)、日本のゴルフプレーヤー島田幸作、村上隆、前田新作、横島春雄などとも契約を結びました。

1973 - 1982
1973日本の販売支社設立

日本に販売支社が設立されました。

1974ジェリー・ウェスト

ロサンゼルス・レイカーズのガードとして最後のシーズンを終えたジェリー・ウェスト(Jerry West)が、チームのヘッド・コーチを経て、統括マネージャーに就任します。1960年代中頃からウイルソンのスタッフ・メンバーだったウェストは、 NBA™で歴代3位の記録である1ゲーム平均27.0ポイントを獲得、オールスターに選ばれること13回、みごとNBA™の殿堂入りを果たしました。

1975テニス用品の売上げ増加

創業以来はじめて、テニス用品の売り上げがゴルフ用品を上回りました。

日本では、第二次ゴルフ・ブームの追い風によって、年間売上げ41億円が達成されました。

1976欧州市場拡大をにらんで

ヨーロッパでのテニス市場の拡大をにらみ、近代的な設備の整った製造工場をアイルランドのゴールウェーに開設しました。

1977部門の分割

ペプシコの新しい経営陣の方針で事業部制が導入されることになり、ウイルソンを「ゴルフ」「ラケット・スポーツ」「チーム・スポーツ」の3部門に分轄。部門ごとに販売とマーケティングを行う独立採算制となりました。

35年間に渡ってコンバース社のスニーカーを販売してきましたが、同社に代って世界最大の靴メーカーであるバータ社(Bata)と契約。しかし、バータ社製のシューズの売上げが伸びないため同社製品の取り扱いを中止、本業に専念することになります。

1978テニスボールの製造

米国サウスカロライナのファウンテン・イン(Fountain Inn)に開設された新しい工場でテニスボールの製造を開始します。

1979ソニーとの合弁日本法人

ウイルソンは収益性の悪化に苦しんできましたが、この年努力が実り、年末には純利益を上げることができました。日本では、ソニー株式会社とベプシコ社の合弁会社として、ソニーウイルソン株式会社が設立されます。資本金1億円、発足当時の売上げは18億円でした。

テニスの分野では、ウイルソン製品がU.S.オープン・テニス・トーナメントのオフィシャル・ボールに選定されました。【PHOTO:U.S.オープン・テニスのオフィシャル・ボール】

1980日本の球界選手との契約

この年ウイルソンは、ジェントル・ベンの愛称で親しまれているトッププロゴルファーのベン・クレイショウ(Ben Crenshaw)、西ドイツ初のマスターズチャンピオンであるベルンハルト・ランガー(Bernhard Langer)と契約を交わしました。さらに、トップ大リーガーとも次々と契約を締結。日本でもパリーグ盗塁王のロッテ・オリオンズの西村徳文選手や阪神タイガースのミスタータイガースこと掛布雅之選手と契約しました。

1981ULTRA PEBBLE登場

新たにフットボール・レザー用のUltra™Pebbleが開発され、ボールのグリップがより長持ちするようになりました。

1982Jシリーズ”登場

日本市場向けに開発された“Jシリーズ”を発表が発表されました。

1983 - 1992
1983WILSON PRO STAFF登場

独自に編み上げられたグラファイトとケブラー(Kevlar™)構造による初のテニス・ラケット“Wilson Pro Staff™”が誕生。これをきっかけに、業界全体で従来の金属製フレームのラケットが一斉に複合材料に取って代わられました。

日本ではメタルウッド1200GEを発売し、テニスとゴルフに続いて、野球用品の販売を開始しました。【PHOTO:Pro Staffラケット】

1984マイケル・ジョーダン

バスケットボールの天才プレーヤー、マイケル・ジョーダン(Michael Jordan)がシカゴブルズに移籍し、ウイルソン・アドバイザリー・スタッフになりました。

PGA™ショーでUltra™ゴルフ・ボールが紹介され、これまでのボールの販売記録を塗り代える大ベストセラーとなります。

日本でも、ツーピースボール“ウルトラツアー432”を発表、ベストセラーとなりました。

1985ウイルソン・ジャパン設立

約2兆円の売上げ規模をもつ米国の一大コングロマリットであるウエスレー・キャピタル・コーポレーション(Wesray Capital Corporation)に買収されます。

ウイルソン・スタッフ・メンバーでもあるNFLのラッシング・リーダー、ウォルター・ペイトン(Walter Payton)が、闘志と全霊を傾けた素晴らしいプレーで、シカゴベアーズをスーパーボウル初勝利に導きました。

日本では、販売力の強化を目指して、ソニー株式会社との合弁を解消し、米国ウイルソン100%出資の日本法人としてウイルソン・ジャパン株式会社を設立。

クラブにおける高安定性設計“SYSTEM-45設計理論”を発表しました。【PHOTO:ウォルター・ペイトン】

1986日本発のモデル

チームスポーツの分野では、初の日本人アドバイザリー・スタッフによるモデルが発表されます。

WILSON PROFILE登場

業界初のワイドボディーのテニス・ラケットであるWilson Profile™を発表。ラケットの開発の歴史に一大革命を起し、テニスラケットに新たなシーンを生み出した記念すべき年として記憶されることになりました。特許技術であるDual Taper Beam™構造を特長としたWilson Profile™は、従来よりも堅く強く、驚異的なパワーを備え、ボールの飛びの良さが抜群な画期的なラケットであると高い評価を得ました。【PHOTO:Profileラケット】


掛布雅之モデルのバットとグローブが誕生。ウイルソンの野球ボールがNCAA™チャンピオンシップのオフィシャル・ボールに選定されました。【PHOTO:NCAAオフィシャル・ボール】

198815歳の沢松奈生子が優勝

15歳の沢松奈生子が全日本女子テニス・シングルスで優勝しました。

1989アメア・グループ傘下に

フィンランドのトップ企業アメア・グループ(Amer Group Ltd.)の傘下となりました。アメア・グループは、ヘルシンキとロンドンの証券取引所に上場している株式公開企業で、業界第2位のウィンター・スポーツ・ブランドであるアトミック(Atomic)の株式も保有しています。

マスターズチャンピオンとなったイギリスのニック・ファルド(Nick Faldo)と契約。さらに、ヤクルト・スワローズ池山隆寛選手もアドバイザリー・スタッフとなりました。

1990HAMMER2.7SI登場

Hammer2.7siテニス・ラケットを発表。重さわずか280グラム、重心をヘッドにおいたHammerシリーズは、業界トップクラスのボールの飛びの良さを誇るラケットで、その後3年にわたってプロショップと専門店でベストセラー商品となりました。

日本では、スター選手のヤクルト・スワローズ池山隆寛をアドバイザリー・スタッフに迎え、池山モデルを発表。

サンフランシスコ・ジャイアンツのウイルソン契約選手バリー・ボンズ(Barry Bonds)がMVPを受賞しました。【PHOTO:Hammer 2.7si テニス・ラケット】

1991大リーグの公式グローブに

ウイルソンのグローブが、メジャー・リーグのオフィシャル野球グローブとして選定されます。

アドバイザリー・スタッフでもある大学野球のコーチ、ノースカロライナ大学のディーン・スミス(Dean Smith)とデューク大学のマイク・クシジェフスキ(Mike Krzyzewski)が、この年から3年連続して全国制覇を成し遂げました。

日本市場では、より日本人にマッチした商品を展開し、年間売上額81億円を記録しました。【PHOTO:マイク・クシジェフスキ(左) & ディーン・スミス】

1992本社を移転

ウイルソン本社はシカゴ郊外のリバーグローブからローズモントにあるプレジデント・プラザ・ビルへ移転。

アメリカン・ドリームの英雄、ジョン・デイリー(John Daly)と総合契約。デイリーは、クラブからボールにまでウイルソン社製を使用。また、275CCのビッグヘッド・ドライバー“キラーホエール”を発売。

マイケル・ジョーダンのサイン入りボールの売上げが、9年連続で100万個以上となりました。【PHOTO:マイケル・ジョーダン】

1993 - 2002
1993新体制で技術革新にフォーカス

世界で最も品質の高い野球グローブが更なる進化を遂げました。新しく発表された野球グローブConform™は、プレーヤーが自分の手に合わせてカスタマイズすることが可能で、驚くほどのフィット感を実現。ウイルソン・スタッフ・コーチのマーシャ・シャープ(Marsha Sharp)が率いるテキサス・テック女子野球チームがナショナルチャンピオンシップを獲得。【PHOTO:Conformグローブ】

わずか260グラムで、今でも最も軽量なスレッジ・ハンマー(Sledge Hammer™ )3.8siがパフォーマンス・ラケットとして発表されました。スウィートエリアを最大限に拡大させるスこのラケットは、逆三角形のデルタヘッドで、ラケットの形に革命を起しました。【PHOTO:スレッジ・ハンマー3.8 siラケット】

1994JETバスケットボール

高品質の屋内/屋外向けの合成皮革製Jet™バスケットボールを発表。

ゴルフボールのテストコースがテネシー州フンボルトのボール工場に移設され稼働を開始しました。

野球グローブの画期的なフィッティング機構であるダイヤルフィットシステムが開発されました。

スポーティング・グッズ・ディーラー誌(Sporting Goods Dealer Magazine)で年間最優秀製造業者となり、NFL™ の年間最優秀ライセンシーにも選ばれました。【PHOTO:Jetバスケットボール】

ウイルソン・アドバイザリー・スタッフが世界中で大活躍しました。世界ランキング首位のテニスプレーヤーのシュテフィ・グラフ(Steffi Graf)とピート・サンプラス(Pete Sampras)がウイルソンのPro Staff™ラケットでテニス界に旋風を巻き起こしました。男女を問わず世界のテニス界で人気No.1プレーヤー・ブランドであるトッド・マーチン(Todd Martin)とも契約し、ハンマーラケットのトッププレーヤーとなりました。

ゴルフでは、ジョン・デーリー(John Daly)とベルンハルト・ランガー(Bernhard Langer)が、最新のStaff™Ultra™IronとKiller Whale™メタル・ドライバーを使ってPGA™を制覇しました。【PHOTO:Killer Whaleメタル・ドライバー】

フットボールでは、ラッシング・リーダーのエミット・スミス(Emmitt Smith)が、ウイルソンのグローブとボールを抱えて大活躍。また、ナショナル・リーグMVPの座に3回輝いたバリー・ボンズ(Barry Bonds)もConformフィールダー・グローブで見事なキャッチを披露。さらに、カレッジ・フットボール・ポストシーズン・ゲームの38チームのうちナショナルチャンピオンのフロリダ・ステートを含む35チームがウイルソンのフットボールを使用しています。

日本では、横浜ベイスターズのエースピッチャー小桧山選手、セリーグの代表的なピッチャーである広島カープの紀藤選手と契約しています。

1995新製品が続々と登場

オーストリアの“アトミック社”を傘下に加え、ウイルソン・オーストリアを設立。新ブランドOXYGEN/オキシゲンで、スノーボート、インラインスケートの販売をスタートさせます。

日本でも、新しい企業理念と共にウイルソン・ジャパン株式会社が組織の再編成に着手。日本全国をエリア別に区分し、拠点に事務所を開設してさらにきめ細かな販売店サポートとカスタマーサービスを開始しました。

若者に適切なスポーツ用具を提供するウイルソン・ユース・スポーツが新設されました。対象製品は、バスケットボール、野球、フットボール、サッカー、ゴルフ、ストリート・ホッケーで、子供たちにポジティブな最初のスポーツ体験をしてもらえるデザインと能力レベルの向上に合わせて製品移行できることが特徴です。

ストレッチ・ラケットシリーズ最長のラケットで、28 1/2インチのフレームと116インチのヘッドサイズを特長としたSledge Hammer 2.8si Stretchを発表。発売開始からわずか4ヶ月で、アメリカ国内でナンバーワンの売り上げを誇るラケットになりました。また、ハンマーシステムラケット“HMクラシック”を使用している女子世界ランキングNo.3のコンチタ・マルチネス(Conchita Martinez)と契約し、このシステムの優位性がトーナメントレベルで次々と実証され、トッププロに注目される要因となりました。

独創的なTW3030 Technical Walkerを市場に投入、急成長しているウォーキング向けのフットウェア分野にも参入しました。


チタニウムとステンレス・スチールを使ったユニークな形状のエアロダイナミック・ヘッドTMドライバーを発表。飛距離と正確性で飛躍的な進化を遂げた“ULTRA500”シリーズのInvexとUltra Competition 500ボールでジョン・デイリー(John Daly)が全英オープンで優勝、2度のメジャー・ゴルフ・トーナメント優勝を果たしました。

オーランド・マジックのアンファニー・ペニー・ハーダウェイ(Anfernee "Penny" Hardaway)とUSAウィメンズ・オリンピック・バスケットボールのシェリル・スゥープス(Sheryl Swoopes)がアドバイザリー・スタッフに加わりました。バスケットボールのスーパースター、マイケル・ジョーダンがシカゴ・ブルズに復帰し、ウイルソンが10個の新しいサイン入りボールを製造して彼の復帰を祝福しました。更に、ウイルソン製品がカレッジ・フットボールUSAのオフィシャル・フットボールに選定されました。


アトランタ・ブレイブスの名ピッチャー、グレッグ・マダックス(Greg Maddus)が、メジャーリグ初の4度目のサイ・ヤング賞を獲得。最高の右腕投手へと導いたのは、自己鍛錬と飽くなき研究心、野球に対する献身に外なりません。能力向上の技術革新に取り組むウイルソンも、野球のグローブの下にはめるUnderglove™を発表しました。厳選された素材と独創的なデザインで、ナチュラルなフィット感、最良のはめ心地で、グリップやボールのコントロール性能を向上させます。

1996製品ラインがさらに拡大

AVP™(Association of Volleyball Professional=プロフェッショナル・バレーボール協会) のオフィシャル・バレーボールとして採用され、ビーチバレーの分野でもリーダーシップを発揮しました。

フットボールのショルダーパッドの生産ラインを確保するために、ウイルソンはDonzis™とライセンス契約を結び“Wilson by Donzis”のロゴを入れた商品を開発。この革新的なショルダーパッドもは市場で最も防護力の高いウイルソン独自のエアバッグ・システムを採用。

ウイルソン・チーム・スポーツは、バスケットボール、ソフトボール、バレーボール、更に、ユニフォーム分野で女性向けのスポーツ用品を特別にデザインし、その需要に応えました。

Sledge Hammer 2.8si Stretchで驚異的な成功を収めたウイルソン・ラケット・スポーツは、この年の春、Stretchラケットに4つの新たな製品を導入します。また、テニス・プレーヤーの定番とされてきたテニス・シューズの伝統を継承したPro Staff eXtreme 300を発表。このシューズは、包み込むような安定感のある独自のミッドソールと抜群の耐久性を誇るアウトソールが特長で、業界では前例のない 10ヶ月間の保証付きで発売されました。


1997新製品が続々登場

テニスラケットのフェイス面内部に長方形のホール(穴)を施す「パワー・ホール」技術を開発。これは、ラケットフェイス内側のグロメット部分を長方形の穴にすることによって、ボールの反発力に影響を及ぼす縦糸・横糸を長くすることを可能にした技術です。従来のラケットでは、インパクトを受けた際にガットがたわむ範囲が内側のグロメット内に限られていましたが、「パワー・ホール」技術を使ったラケットでは、フレーム外側のグロメットにまで広がるため、パワーの増大とスウィートエリアを拡大することを実現しました。

ゴルフでは、チタン製クラブに最適化した最先端技術満載のゴルフボール「 STAFF Ti SERIES 」が登場。さらに、ゴルフ市場に革命を起こし、爆発的な人気を維持し続けることになる「ファットシャフト」が登場したのもこの年です。「ファットシャフト」の特長は、従来のクラブと比べて35%も太くしたシャフトネック部。ホーゼル部(シャフトとヘッドの接合部)近くのトルクが抑えられるため、ショットの安定性と、飛距離が格段に向上しました。

チーム・スポーツでは、背面に縫い込んだ革の覆いが人差し指を保護する画期的な「プロスリーブ(Pro Sleeve)」グローブを発表しています。

1998新素材の採用

ハイパー・カーボン素材を採用したテニス・ラケット「ハイパー・ハンマー(Hyper Hammer)」を発表。チタンと比べて4倍の強度と硬度を備えながら65%も軽いハイパー・カーボンは、人工衛星や最先端航空機の材料として主に航空宇宙産業で使われてきた宇宙時代の新素材です。

チーム・スポーツでも、米国で生まれた新素材合金のC405+を採用したソフトボールとベースボールのバットが誕生しています。

1999曲がらず遠くへ飛ぶボール

「STAFF Ti STRAIGHT DISTANCE」ゴルフボールを発表。その名の通り“曲がらず遠くへ飛ぶ”ボールという視点から開発された新しいコンセプトのボールです。高反発カバーとコアの硬度差を大きくした内柔外硬構造がスピンを抑えるため、真っ直ぐに、そしてより遠くに飛びます。この年、ペイン・スチュアート(Payne Stewart)が2度目の全米オープンに輝きました。

チーム・スポーツでは、「EZ-CATCH」と「クイックストップレザー」グローブを発表。ウイルソンの契約選手テキサス・レンジャースの名捕手イバン・ロドリゲス(Ivan Rodriguez)がMVPを受賞しています。

2000ウィリアムス姉妹の活躍

この年開催されたシドニーオリンピックでは、ヴィーナス・ウィリアムスが女子シングルスで金メダル、妹のセレナとチームを組んだダブルスでも金メダルを獲得。さらに、ウィンブルドンとUSオープンもヴィーナスが制覇。ウィンブルドンのダブルスでもウィリアムス姉妹が優勝しています。二人が使ったラケットはウイルソンの「ハイパーハンマー」でした。

ウイルソンはこの年、またしても革新的な技術を盛り込んだ「ローラー・テクノロジー(Roller Technology)」テニス・ラケットを発表します。このラケットの特長は、グロメット部に組み込んだローラーで、これによってストリングスの可動範囲が広がり、大きなエネルギー伝達が実現し、ストリングの反発性能が大幅に向上しました。垂直方向におけるストリング運動(図中の ↑↓)の結果、インパクトを受けたときのフェイス面の反発効果(ボールを飛ばそうとする力)が増大します。また、水平方向ではローラーによって、インパクトを受けたストリングが元に戻ろうとする動きが大きく助長されます

これによって、ソフトなフィーリングが実現しただけでなく、インパクトの瞬間にストリング自身が反発しようとする範囲が横方向のみならず周辺にまで及ぶため、フェイス面のほぼ全域がスイート・エリアとなるのです。

ゴルフでは、チタンを凌ぐ反発力を生みながら、打感はあたかも“軟鉄”と評された「ファットシャフト・クロモリ・アイアン」がクラブオブザイヤーを受賞しました。このクラブで、レーシングカーのクランクシャフトなどに使用される高強度素材のクロモリ鋼を採用して、高反発とソフトフィーリング性能の相反する2つの機能を両立させました。

チーム・スポーツでは、グローブの軽量化を図るために、強度が2倍、重量が2分の1という画期的な素材「Super Skin」が採用されます。

2001ディマリニ社を買収

サンフランシスコ・ジャイアンツの名捕手バリー・ボンズ(Barry Bonds)がメジャーリーグ史上初の4度目のMVPを獲得したこの年、ウイルソンは世界ではじめて2重管ソフトボール・バットを開発したDeMarini(ディマリニ)社を買収しました。


ゴルフでは、超高反発ドライバーの「ディープ・レッド(Deep Red)」シリーズを発表しました。

ウイルソンは、3ピース構造を採用した「トライアド(TRIAD)」を発表。翌年にベスト・セラーとなるトライアドは、従来の1ピース構造では不可能とされてきた「パワー」と「快適性」を両立させた画期的なラケットです。ラケットのパワーは、ボールの衝撃に対するラケットの反発力に比例しますが、反発力が大きければ大きいほど、ハンドル(グリップ)を通じてプレーヤーの腕に伝わる振動が大きくなり、快適性が損なわれます。このように相反する「パワー」と「快適性」という命題をヘッド部とハンドル部を分離することで解決したのが、「トライアド」です。ヘッド部とハンドル部の結合に使われている材料は、地震の衝撃吸収のために高層ビルや橋などの建造物に使われているISO-ZORB(アイソ・ゾーブ)。ヘッド部では最大のパワーを発揮しながら、衝撃はハンドル部に伝わる前に遮断してくれるため、快適性なプレイが実現します。


オフィシャル・ボール

「ダブル・コア」テニス・ボールが全国高等学校体育連盟テニス部の公認球となり、全国高校選抜テニス大会のオフィシャル・ボールに採用されます。

さらに、バスケット・ボールもNCAAのオフィシャル・ボールに採用され、ウイルソンがNCAAブランドのボールの独占販売権を獲得しました。
ショットやパットが曲がりにくい、完全重心バランスを実現した「 STAFF TRUE 」ゴルフ・ボールを発表。

これまでの全試合をウイルソン製のラケットで戦ってきたピート・サンプラスがテニス史上初の14度目のグランドスラムを達成。セレナ・ウィリアムスも女子テニス協会(WTA)の2002年シーズンの年間最優秀選手に選ばれています。また、テキサス・レンジャースのイバン・ロドリゲス(Ivan Rodriguez)が7年連続打率3割を達成しました。

2003 - 2012
2003ATEC社を買収

ピッチングマシンや野球/ソフトボール用トレーニング機器の最大手メーカーであるATEC社を買収。

「ダブル・コア」がインターハイのオフィシャル・ボールに採用されます。前年の2002年に全国選抜テニス大会のオフィシャル・ボールに採用されたのに続く快挙です。


ディープレッドTABキャビティ・アイアンが「間違いだらけのゴルフクラブ選び2003」(三推社/講談社)でグランプリを受賞。飛距離への飽くなき追求の末に誕生したTAB構造のパフォーマンスの高さが評価されました。【PHOTO:ディープレッドTABキャビティ・アイアン】

2004契約選手の活躍とNCODEの登場

ウイルソンの契約選手も世界中で大活躍しました。

まずテニスでは、世界ランキング第一位のロジャー・フェデラー(Roger Federer)が全豪オープン/ウィンブルドン/全米オープンを征し、4大大会年間3勝目を達成。また、ガストン・ガウディオ(Gaston Gaudio)も全仏オープンの男子シングルスでノーシードから勝ち上がって優勝しました。


ゴルフでは、上原彩子が女子プロテストをトップで合格したのに続いて「LPGAステップアップツアーヴァーナルカップ」で優勝。神山隆志が「JCBクラシック仙台」で優勝したのに続いて全英オープンに出場し、日本人として最高位の27位でフィニッシュしています。パドレイ・ハリントン(Padraig Harrington)もヨーロピアンツアー第33戦リンデ・ドイツマスターズで優勝しました。

メジャーリーグでは、サンフランシスコ・ジャイアンツのバリー・ボンズ(Barry Bonds)が史上3人目の700本塁打を、シカゴ・カブスのグレッグ・マダックス(Greg Maddux)が史上22人目となる300勝を達成しました。更に、デトロイト・タイガースの名捕手イバン・ロドリゲス(Ivan Rodriguez)が10年連続のゴールドグラブ賞を受賞しました。【PHOTO:グレッグ・マダックス 】


ナノテクノロジーを応用したテニスラケット「nCode」シリーズが登場。

nCodeは従来のラケットに比べて、2倍の強度、2倍の素材安定性、22%のパワーを実現した革新的なラケットです。世界に先がけて日本で販売が開始されたのを記念して、専用サイトwww.wilson-ncode.jpが公開されました。さらに、ウイルソンのブランドメッセージ“feel it”を伝えるためのwww.wilson-feelit.jpを立ち上げました。【PHOTO:nSix-One Tour 90】

2005新製品と契約選手の活躍がファンを魅了

2005年は、魅力的な新製品が次々と誕生した年でした。

■「メープルをつかったSAMバットと「ハーフ&ハーフ」構造の軟式バット

チームスポーツで最も注目を集めたのがスイングタイプ別軟式ベースボールバット。Rシャフトを装着したスインガータイプ向けのDF-1(DXJRG)とSシャフトを装着したハードヒッター向けのDF-1(DXJST)の2種類の軟式バットです。どちらもグリップのしなりとヘッドの走りを追及した「ハーフ &ハーフ」構造となっており、飛距離が大幅にアップしました。

世界で最も美しく、そして厄介で手ごわい野球バット」といわれるSAMバットも発売されました。北アメリカ大陸で最も豊かな落葉樹の森に囲まれたオタワ(カナダ)で誕生したSAMバットは、従来からのバットの素材であるアッシュ(セイヨウトネリコ)よりもずっと密度が高いメープルで作られています。

■発売前から問い合わせが殺到

TABアイアンシリーズの中でも最大の初速アップを実現した“Wilson Staff TAB III Iron”が登場。

さらに、アグレッシブなショートゲームを可能にした“Wilson Staff Tw5( クラシックウエイト/ ツアーウエイト)”も登場。これまでにない的確なインパクトと飛距離を実現しました。

■nCodeラケット使用選手の活躍と新シリーズのラインナップ

無敵の王者ロジャー・フェデラーは全英・全米オープンで優勝、年間最終ランキング1位の座を守り、女王リンゼイ・ダベンポートも2年連続4回目の年間最終ランキング1位の栄誉に輝きました。また、全豪オープン女子シングルスではセレナ・ウィリアムスが、全仏オープンではジュスティーヌエナン‐アーデンが優勝。ヴィーナス・ウィリアムス、ケビン・ウリエット、ブライアン兄弟も4大大会をはじめ、数々の世界大会でその実力を世界にアピールしました。彼らの偉業に貢献した“nCode”に新シリーズをラインナップ。更に、女性の身体能力を科学的・工学的に分析し、女性の美しさと強さを引き出す“W ライン”シリーズを発表しました。

2006新市場に参入

企画開発、デザイン、生産までを行うトータルメイクのテニスウェアを発表、スポーツアパレル業界への本格的参入を開始しました。今回発表した2006秋冬モデルは、「Xシリーズ」「Aggressiveシリーズ」「W-Styleシリーズ」の3種類で、中でも「Xを纏う」のキャッチコピーを冠した「Xシリーズ」は、プレイヤーのウェアへのストレスを大きく軽減し、人気モデルとして継続生産される製品となりました。

3月には、これまで欧米を中心に販売し、多くのトッププレイヤーに愛用されているウイルソンのバドミントンラケットの国内販売を開始しました。まず、テニスで培った独自のナノテクノロジーを導入したバドミントンラケット「nCodeシリーズ」をはじめとした7モデルを発売、順次新モデルを発表し、国内のプレイヤーを強力にサポートしていくことになりました。

更に、2003年に100%出資子会社であるウイルソン・スポーティング・カンパニーが買収したATEC社の野球/ソフトボール用ピッチングマシンの国内販売を開始しました。

フェデラー、ウイルソンと生涯契約を締結
これまで、ビリー・ジーン・キング、ジャック・クレイマー、ピート・サンプラス、クリス・エバート、シュテフィ・グラフといった世界に名だたるトッププレイヤーと生涯契約を結んできたウイルソンは、3月に世界テニスランキング第1位のロジャー・フェデラーとも契約を結びました。これを記念し、7月にフェデラーが公式試合で実際に使用している同一スペックのテニスラケット「nSix One Tour Federer」を限定発売しました。


スポーツ界でウイルソンの契約選手の活躍が注目される中、プロゴルファーのパドレイグ・ハリントンが「アルフレッド・ダンヒルリンクス選手権」「ダンロップフェニックストーナメント」に優勝。「ボルボ・マスターズ」2位の快挙を遂げ、今年度の欧州ツアーランキング1位を獲得しました。


ゴルフでは、カーク・カーリーと共同開発したパター「ウイルソンスタッフKc II」、人気モデルのNcシリーズに「Nc FW」「Nc UT」がラインナップされました。

また、テニスでは女性向けテニスラケット「Wライン」シリーズに5種類のコスメティックを揃えた「W4」とウィリアムズ姉妹の要望によってデザインされた「W3 Gypsy Rose」「W5 Divine Iris」が登場しました。

ウイルソン・バドミントン製品を発売開始
〜最新技術を備えた7モデルのバドミントンラケットが登場〜


2007注目の日本人プレーヤー錦織圭と契約

2006年に全仏オープン・ジュニアで優勝、2007年にRCA選手権でベスト8入りしたテニス界注目のプレーヤー錦織圭(17歳)と日本人初のワールドワイド用具契約を締結しました。この契約によって、世界中のウイルソン現地スタッフが試合会場まで赴き、錦織選手が使用する用具を提供することになりました。


nCodeからさらに進化を遂げた[K]Factorシリーズテニスラケットを発売。「完璧なコントロール」を可能にするラケットの登場がテニス界に新たなトレンドを生みました。さらにバドミントンラケットにも[K]Factorシリーズが登場しました。また、ひとり一人の動きを追及したテニス/バドミントンアパレル、耐久性とパワーアップがアップした野球/ソフトボールの用具など新技術を搭載した数々のヒット商品が生まれました。

この年も、ロジャー・フェデラーの全豪/全米/全英優勝をはじめ、ウィリアムス姉妹、ジュスティーヌ・エナン、ブライアン兄弟ほか、多数のウイルソン契約選手が大活躍しました。

[K]Factorのすべてを紹介するウェブサイト「k-factor.jp」、日本全国のかべ打ちスポットの紹介などテニス愛好家の方たちのコミュニティサイト「WILSON SQUARE」、仮想空間「セカンドライフ」に「Wilson Cafe@ Second Life」がオープンしました。

2008ウイルソン、日米ともにテニスラケット トップシェアを獲得

アメア スポーツ ジャパン株式会社(本社:東京都江東区有明/代表取締役社長:鳥居恵一郎)ウイルソン ラケットスポーツ事業部より、標記に関しますご参考情報をお知らせします。

テニス、野球など、ボールスポーツ業界において70年以上の歴史をもつスポーツメーカー、ウイルソン米国本社(本社:シカゴ)は、本年第1四半期の市場シェアナンバー1を獲得し(※1)、加えて日本市場においても本年2月末までの販売金額シェア26.3%を獲得(※2)、日米ともにテニスラケットシェアNo.1ブランドであることが第三者機関の調査により証明されました。

北米市場において、第1四半期を通して販売されたテニスラケットの売れ筋モデル上位7モデルのうち4モデルがウイルソン製品をいう販売結果を踏まえ、ウイルソンは販売金額と販売本数の両面において売れ筋ナンバー1ブランドであることが改めて証明されました(※3)。

〜日本市場では、本年2月までの販売金額ベースで26.3%のトップシェアを獲得〜

日本市場においても、本年2月までの販売金額シェアが26.3%、販売本数ベースでも25.4%と、いずれも第一位を獲得し、売上ランキング上位50モデルの中でも、14モデルがウイルソン製品という結果となりました。(※2)。
日本では昨年、年間No.1ブランドとして販売金額トップシェアを獲得しており、本年もこのポジションを継続してゆきたいと考えています。

※1…米国・スポーツ・マーケティング・サーベイ社調査による。
※2…矢野経済研究所調査に基づく。
※3…スポーツ・マーケティング・サーベイ社、及び、TIA(テニス事業協会)の監査による。




ヨナス・ラスムッセン ジャパンオープン制覇
〜BWFスーパーシリーズ初制覇〜
【2008年09月29日】
アメア スポーツ ジャパン株式会社(本社:東京都江東区有明/代表取締役社長:鳥居恵一郎)ウイルソン ラケットスポーツ事業部から、標記に関しますニュースをお知らせします。

ヨナス・ラスムッセン(デンマーク・BWF6位・[K]-FACTOR / [K] TOUR)は、2008年9月15日から9月21日まで、日本・東京体育館で開催されておりましたBWFスーパーシリーズ JAPAN OPEN決勝で、ラーズ・パ-クスと組んだダブルスで見事に優勝を飾りました。

ラスムッセン、パークス組は、決勝戦まで1ゲームも奪われることなく勝ち進み、決勝では21-17,15-21,21-13でモハンマド・アーサン/ボナ・セブタノ(インドネシア)に競り勝ち、優勝しました。
「この優勝は私にとって大変意味のあるものです。決勝まで1ゲームも落としていないということは知りませんでした。だから何のプレッシャーもなく決勝に望むことができました。」と語りました。

*BWF Badminton World Federation

2009Back to Badminton NewsPrint 全日本バドミントンランキング 男子シングルス3位佐々木 翔選手がウイルソンと用具使用契約

〜世界初の日本人契約選手が誕生〜

アメア スポーツ ジャパン株式会社 ウイルソン ラケットスポーツ事業部では、全日本バドミントンランキング男子シングルス3位(※1)の佐々木翔選手(ささき しょう、26歳、所属:トナミ運輸バドミントン部)と用具使用契約を結びました。契約は本年1月1日から2010年12月31日までの2年間で、ウイルソンからバドミントンラケット、ストリングス(ガット)、およびシューズを提供します。

※1…08年12月7日時点(日本バドミントン協会発表資料より)

1982年北海道に生まれ、幼少からバドミントンを始めた佐々木選手は、ジュニア時代はもちろんのこと、関東第一高校所属時に数々の主要タイトルを獲得してきました。サウスポー(左利き)の利点を生かしたプレースタイルで、戦術、スピード、キレなど高い評価を得ています。日本バドミントン協会が主催する「日本ランキングサーキット大会男子シングルス」では2005年から4年連続で優勝しており、2009年の日本代表(ナショナルチーム)選手にも選ばれています。

佐々木選手は、ウイルソンバドミントンラケットの高いクオリティを評価してくれているだけでなく、「常に新しいアイデアを取り入れる」「自社製品だけでなくバドミントン市場全体の認知向上を目指す」など、ウイルソンのバドミントン市場に対する思想に強く共感し、「いっしょにやりたい」と申し出てくれたことで、今回の契約が実現しました。

BWF(※2)スーパーシリーズのひとつ「バドミントン・スイスオープン」のオフィシャルスポンサーであるウイルソンは、世界を転戦する佐々木選手をワールドワイドでサポートすると共に、彼のアドバイスを今後の商品開発に生かしてゆきたいと考えています。

※2…Badminton World Federation=世界バドミントン連盟



名器Pro Staff 6.0 が25年の歴史に幕
〜Pro Staff 6.0 生産終了〜
【2009年04月17日】
アメアスポーツジャパン(株)ラケットスポーツ事業部は、2009年3月をもって1984年に開発・販売をスタートしたPro Staff 6.0の生産を終了します。ジミー・コナーズとの共同開発によって生まれたPro Staff 6.0は、クリス・エバート、ステファン・エドバーグ、ピート・サンプラスといった歴代世界No1選手に愛され、また多くのテニスファンに愛され続けてきました。しかし日々進化する素材革新により、テニスそのもののスピード、パワーが格段に向上するなか、プロデビュー時にPro Staff 6.0を使用していたロジャー・フェデラーも[K]SIX.ONE TOUR 90にその武器を変え、またシニアツアーに参戦を決めたピート・サンプラスも[K]PS 88にスウィッチしました。Pro Staff 6.0はその遺伝子を後継モデルに受け継ぎ、25年の歴史に幕を下ろします。

2010「BASALT Fiber」を採用したニューテクノロジー「BLX」搭載テニスラケット発売

「BASALT Fiber」を採用したニューテクノロジー「BLX」搭載テニスラケット発売
【2010年01月01日】

「バサルト・ファイバー」を採用したニューテクノロジー「BLX」搭載テニスラケットを15機種発売。
ウイルソンは、今まで新素材として1998年に「Hyper Carbon」、2004年に「nコード」、2007年に「カロファイト・ブラック」を発表してきました。それにより現在では、ラケットの要素として重要と考えられるパワーとコントロールを十二分に持つことができました。その上で、次世代のラケットとして必要である要素を振動、音、しなりから成る「フィーリング」と定め、それらを高い次元で再現できる新素材「バサルト・ファイバー」を採用した「BLX」テクノロジーを開発しました。
バサルト・ファイバーとは、①不快な衝撃を減少させ、よりスムーズな振動を伝える。②遮音性能が高いため、配合方法により、音階と音量の調節が可能。③軽量であるため、その配合方法により、しなり度合いを調節可能。と言う特性を持っており、この「バサルト・ファイバー」を、パワーとコントロールをつかさどる「カロファイト・ブラック」に混合することで、今までに実現できなかった「パワー」、「コントロール」そして「フィーリング」を兼ね備えたラケットの開発に成功しました。




バドミントン界の貴公子、池田信太郎選手がウイルソンと用具使用契約
〜~『イケシオ』で注目の的となっている池田選手~〜
【2010年02月22日】
アメア スポーツ ジャパン株式会社(本社:東京都江東区有明/代表取締役社長:鳥居恵一郎)ウイルソン ラケットスポーツ事業部では、日本バドミントンランキング混合ダブルス3位(※1)の池田信太郎(いけだしんたろう、29歳、所属:日本ユニシス)と用具使用契約を結びました。契約は本年から2012年までの3年間で、ウイルソンからバドミントンラケット、ストリングス(ガット)、およびラケットバッグを提供します。
*1・・・・10年2月12日時点(日本バドミントン協会発表資料より

2011

Wilson プロテニスプレーヤー 内山 靖崇(うちやま やすたか)選手とラケット使用契約を締結
〜錦織 圭選手と同じモデルのラケット(Wilson TOUR BLX 95)でプロ転向へ〜
【2011年04月12日】
 アメア スポーツ ジャパン株式会社(本社:東京都江東区有明/代表取締役社長:鳥居恵一郎)ウイルソン ラケットスポーツ事業部は、プロテニスプレーヤー内山 靖崇(うちやま やすたか)と2011年 4月1日(金)より2年間に渡りラケット使用契約を締結いたしました。

 現在18歳の内山選手は、2011年4月1日にプロに転向したばかりの大型新人です。7歳からテニスを始め、12歳の時に全国選抜ジュニアU12と全国小学生大会、さらに全日本ジュニアU12のシングルスにて優勝し、その後プロ選手を目指してアメリカ フロリダのIMGテニスアカデミーへ留学。昨年には男子プロテニス協会(ATP)公認の「筑波大学国際テニストーナメント」にて、18歳にして成人の男子プロ選手を抑えATPツアー✽シングルス初優勝を達成、さらに全米オープンジュニア大会と同じグレードIに匹敵する「World Super Junior Tennis Championship」にて、日本人2人目の快挙となるシングルス・ダブルス優勝を果たすなど、男子テニス界で大変注目されている若手選手です。

 内山選手がプロ転向を迎えるにあたり選んだラケットは、Wilson TOUR BLX 95で、このラケットはメンタル面を学ぶ際、最も影響を受けたという錦織圭選手と同じモデルです。内山選手は、Wilson TOUR BLX 95によるパワーとスピン性能を大変気に入っています。今後、内山選手はスピードとパワー溢れるサーブを生かし、2012年のオーストラリアンオープン予選出場を目指します。



佐々木翔がまたも記録更新!!バドミントン日本人男子勢の世界ランキング最高記録である6位!!
〜-2週連続の記録更新-〜
【2011年11月03日】
アメア スポーツ ジャパン株式会社(本社:東京都中野区中央/代表取締役社長:鳥居恵一郎)ウイルソン ラケットスポーツ事業部より、表記に関しますニュースをお伝えします。

ウイルソン契約バドミントンプレーヤー、佐々木 翔選手(ささき しょう、所属:トナミ運輸、使用ラケット:ウイルソン RECON BLX)は、BWF※(世界バドミントン連盟)が本日発表した男子シングルス部門世界ランキングにおいて先週記録した日本人男子シングルの歴代記録である7位をさらに更新し、日本人男子として歴代最高位である6位を獲得しました。これはシングルス部門、ダブルス部門を通して歴代男子の最高位となります。
※…Badminton World Federation=世界バドミントン連盟

先週の段階でランキング6位に位置していたタオフィックヒダヤット(インドネシア)が先週のフレンチオープンでまさかの初戦敗退を喫し、前年優勝していた大会とあってポイントを大幅に落としたことが原因で、7位につけていた佐々木翔はポイント増減なしで世界ランキング6位を獲得する結果となった。

佐々木翔は兼ねてより、自身で掲げていた世界ランキング6位という大目標に五輪レース中盤の今日現在でその位置に達した。このランキングで2012年4月末日の五輪レースを終えることが出来れば、シード選手としてロンドン五輪でのメダルがより現実味を帯びてくる好位置での試合に望むことができる。

1982年北海道に生まれ、幼少からバドミントンを始め、数々の主要タイトルを獲得してきた佐々木選手は、サウスポー(左利き)の利点を生かしたプレースタイルで、戦術、スピード、キレなど高い評価を得ています。ロンドン五輪日本代表に最も近い選手として日本バドミントン業界のみならず、世界中のバドミントンファンの注目を集めています。
2011年の佐々木選手の活躍は目覚ましく、世界選手権ベスト8、インドネシアオープン3位入賞、日本実業団男子団体戦で所属のトナミ運輸の優勝に貢献して最優秀選手賞を獲得しています。さらに全米オープンでは優勝を飾り、今回のデンマークオープン3位入賞という結果により、世界ランキングを2週連続で更新し6位という偉業を達成しました。

ウイルソンンは、これからも最高の技術とサービスで佐々木選手をサポートしてまいります。



松友美佐紀(まつともみさき)選手とラケット使用契約を締結

2012R・フェデラー、7回目のWIMBLEDON優勝

R・フェデラー、7回目のWIMBLEDON優勝
【2012年07月09日】

Wilson契約選手のR・フェデラー(スイス・PRO STAFF TOUR 使用)は、イギリス・ロンドンで開催されていたこれでフェデラー選手は7回目のWIMBLEDON優勝を果たし、グランドスラム・タイトル獲得数を17に更新しました。

また、この優勝で世界No1に返り咲くとともに、P・サンプラス選手が持っていたWIMBLEDON最多優勝回数、世界No1ランキング保持記録「286週」に並びました。


S・ウィリアムズ、5回目のWIMBLEDON優勝
【2012年07月09日

Wilson契約選手のS・ウィリアムズ(アメリカ・BLADE TEAM BLX使用)は、イギリス・ロンドンで開催されていたWIMBLEDO決勝で、世界No3のA・ラドワンスカを6-1、5-7、6-2で下し見事優勝を飾りました。

これでセレナ選手は5回目のWIMBLEDON優勝を果たし、14個目のグランドスラム・タイトルを手にしました。

また、同日に開催された姉V・ウィリアムズと組んだ女子ダブルス決勝でも勝利し、5回目のWIMBLEDONダブルスタイトルも手にしました。


プロテニスプレーヤー 伊藤 竜馬とフットウェアー使用契約を締結
〜日本人男子プロとのHEAD to TOE契約はウイルソンとして初〜
【2012年12月28日】

アメア スポーツ ジャパン株式会社(本社:東京都中野区中央/代表取締役社長:鳥居恵一郎)ウイルソン ラケットスポーツ事業部は、2013年1月1日よりプロテニスプレーヤー伊藤 竜馬(いとう たつま)とフットウェアーの使用契約を結びました。ウイルソンでは、2011年に伊藤選手とラケット、アパレル(※1)、ストリングス、グリップ、バッグにおける用具使用契約を締結しています。今回のフットウェアー使用契約により、伊藤選手はウイルソンとして日本人初のHEAD to TOE契約(※2)プレーヤーとなりました。

2012年のロンドン五輪に出場した伊藤選手は、9歳からテニスを始め早くから有望ジュニアの一人として知られていました。高校在学中の2006年(当時18歳)にプロ転向後、2009年に自身初の日本人選手トップに立ち、2012年には、グランドスラム大会のひとつオーストラリアン・オープンで自身初の勝利を収めるなどの好成績により着実にランキングを上げ、ロンドン五輪出場に至りました。
また2012年10月に東京・有明で開催されたジャパン・オープンでは世界12位のN・アルマグロに勝利するなど活躍を続け、ランキングを自己最高の60位まで向上させました。

伊藤選手が着用する、2013年春夏モデルのフットウェアー「RUSH PRO(ラッシュ・プロ)」は、これまでの足入れの快適なシューズ、クッション性に特化したシューズとは異なり、“コート上でプレーヤーのパフォーマンスを向上させること”を目的に開発されました。特に、フォアフット(前足部)に装備された“3Dフォアフット・サポート”が、テニスでもっとも酷使するフォアフットの安定性を高めると共に、足指を動かすスペースが確保することにより、プレーヤーのパフォーマンスを向上させます。

伊藤選手は「RUSH PRO(ラッシュ・プロ)」について次のようにコメントしています。「僕は捻挫をよくしていたのですが、RUSH PROは非常に安定感があり、安心して思いっきり踏み込むことができます。また足に吸い付くような感覚でフィットするので、パワーロスがないように感じます。2013年は世界トップ50位、30位を目標にRUSH PRO を履いて挑戦したいと思います。」
ウイルソンは、今後も最善の用具を開発し全力でサポートしてまいります。

※1アパレルに関しては、国外の大会のみで着用
※2ラケットなどのギア類からアパレル、シューズまで必要なアイテムを全身総合的に提供する契約形態のこと

2013 - 2016
2013パワー、スピード、コントロール。すべてはフォアフットから。 〜プレーヤーのパフォーマンスを最大限向上させるRUSH PRO発売〜

これまでの足入れの快適なシューズ、クッション性に特化したシューズとは異なる、“コート上でプレーヤーのパフォーマンスを向上させること”を目的に開発したRUSH PRO(ラッシュ・プロ)を発売します。
RUSH PRO

RUSH PROのフォアフット(前足部)に装備された“3Dフォアフット・サポート”が、テニスでもっとも酷使するフォアフットの安定性を高めると共に、足指を動かすスペースが確保することにより、プレーヤーのパフォーマンスを向上させます。

2014ウイルソンブランド 誕生100周年

100年前の1914年、アメリカ・イリノイ州シカゴに本社を置くWilsonは誕生しました。
今年2014年はWilsonブランド100thの記念すべき年となります。
スポーツブランドでここまでの歴史を持つブランドは少なくWilsonブランドの血脈は長きに渡り代々受け継がれて参りました。
Wilsonは100thと言う記念すべき年を迎えると同時に、ここをゴールではなく次なる100年に向けてのスタートを切る気持ちを持ちWilsonは更なる革新的なテクノロジーと斬新なアイデアを常に持ち続け、あくなき挑戦を続けてまいります。



錦織圭選手が快挙達成!!

ウイルソンと用具契約を結んでいる錦織圭選手が、5月9日のマドリード・オープン準々決勝でフェリシアノ・ロペス選手(スペイン)にセットカウント2-0のストレートで勝利し、世界ランキング10以内を確定させました。


その後、マドリード・オープンで準優勝という素晴らしい結果を残し、5月12日(月)に発表されたATPランキングにおいて世界9位にランキングされました。現行のランキング制度における、日本男子選手初のシングルス・トップ10入りの快挙となります。

錦織選手は「次はトップ5を目標にしたい」と語っており、更なる高みを目指して進み続けます。



日本人初!YONEX OPEN JAPAN 女子ダブルスを松友美佐紀/高橋礼華が制す
〜ペア初のスーパーシリーズ制覇の快挙〜
【2014年06月16日】

ウイルソン契約バドミントンプレーヤーの松友美佐紀(まつともみさき、所属:日本ユニシス、世界ランキング・4位、使用ラケット:ウイルソン FIERCE POWERSKIN、)高橋礼華(たかはしあやか、所属:日本ユニシス、世界ランキング4位)は、今月10日から開催されたYONEX JAPAN OPENにて、日本女子ダブルス勢で初優勝を果たした!


松友美佐紀/高橋礼華が日本バドミントン初となる世界ランキング1位に!
〜~全種目を通して日本勢で初の快挙~〜
【2014年10月31日】

日本代表女子ダブルスの松友美佐紀(日本ユニシス所属・Wilson FIERCE -POWERSKIN- 使用)高橋礼華(日本ユニシス所属)ペアがまたも快挙を成し遂げた!
10月30日付けのBWF発表の最新世界ランキングにて、日本勢では全種目通して初の快挙となる世界ランキング1位を獲得!

松友高橋ペアは2014年は6月に日本国内で行われたYONEX OPNE JAPANでも女子ダブルスの日本人初優勝を果たしており、その後も世界最高峰のスーパーシリーズクラスで年間を通してもコンスタントに結果を出し、9月のアジア競技会での銀メダル獲得、前々週のデンマークオープンスーパーシリーズプレミアでも決勝進出を果たし見事にこの快挙を成し遂げた。


佐々木翔が7年振りの全日本王者奪還!松友美佐紀・早川賢一は混合ダブルス連覇達成!!
〜第68回全日本総合バドミントン選手権大会〜
【2014年12月08日】

12月2日~12月7日まで、東京都渋谷区代々木第2体育館にて、第68回全日本総合バドミントン選手権大会が開催された。
本大会は来年度の日本代表メンバーの選考も兼ねた、日本チャンピオンを決める国内最高峰のトーナメント。

本大会にウイルソン契約バドミントンプレーヤーの佐々木翔(ささきしょう、所属:トナミ運輸、世界ランキング・18位、使用ラケット:ウイルソン RECON -POWERSKIN-)は、男子シングルス本戦に第4シードから出場し初戦から全試合オールストレートの完璧な内容で7年振り2回目となる優勝を果たした。

20152015 Wilson BADMINTON SUMMIT

<4>2015 Wilson BADMINTON SUMMITを開催
〜-佐々木翔選手・松友美佐紀選手とWilsonとの契約更新の公開調印式-〜
【2015年01月22日】

ウイルソン契約の佐々木 翔(ささき しょう、所属:トナミ運輸、世界ランキング18位)と松友美佐紀(まつともみさき、所属:日本ユニシス、世界ランキング・2位)がウイルソンとの契約更新を公開調印式という形で発表した。

当日は各社報道関係も多数出席し大々的な契約更新となり、2016年の二人の最大も目標であるビッグトーナメントに向けて、新たにウイルソンにリクエストして開発され、今年3月末より発売開始となる佐々木翔モデル・松友美佐紀モデルの新製品ラケットも発表された。


世界初“スライディング・フットウエア”RUSH PRO GLIDE登場!
〜世界に先駆け、アメリカ、フランス、日本で発売開始。〜
【2015年10月11日】

フットワークを約30%*加速する、世界初“スライディング・フットウエア”、RUSH PRO GLIDEを2015 年10 月より全国のウイルソン正規販売店にて発売。



都会のド真ん中に本物のテニスコート
WILSON TENNIS PARKが出現!
【2015年11月20日】

テニスブームの再来!?
今、小さなテニスブームが起こっている。あの日本人選手の活躍を見て、あの頃のテニスボールを打つ音、プレーの爽快感を思い出して再びテニスを始める人。「あんな選手になりたい」という夢を持ち日々ボールを打ち続ける人。そんなテニスの楽しさをもっと多くの人に知ってもらいたい!感じてもらいたい。だからWilsonはオフィスビルで賑わう赤坂、六本木エリアのド真ん中に一日限りのテニスコートを出現


ウイルソンは同社契約プロテニスプレーヤー錦織 圭選手と日本人初となる長期(現役期間中の生涯)契約を締結。
【2015年12月10日】

2015年11月30日、Wilson Sporting Goods(本社アメリカ・イリノイ州・シカゴ)は、同社契約テニスプレイヤー錦織圭選手との契約延長を発表しました。現在、アジア史上最高ランク保持者であり現在ATP世界ランク8位の錦織選手は、今後の選手生活を通しWILSONとのラケット使用の長期契約(現役期間中の生涯契約)を結びました。

「錦織選手は現代のテニスプレイヤーの特性であるスピード感、俊敏さ、パワフルなプレーと高い身体能力を全て持ち備えていて、見る者を感動させる選手である。我々と錦織選手のパートナーシップは深い尊敬と協力関係、信頼の上で成り立っている。そんな彼が今後末永く我々のアドバイザリースタッフの必要不可欠なメンバーとして貢献してくれることをとても興奮している」とWilson ラケットスポーツ のジェネラルマネージャーであるHans-Martin Rehはコメントしました。

また、錦織圭選手も以下の通りコメントをしていります。「ウイルソンは僕がまだ幼かったジュニアの時代から傍で共に戦いキャリアを積み、夢に向かって歩んだブランドです。WILSONの僕に対するコミットメントは素晴らしいものでした。常により良いラケットを求めてWILSON ツアーチーム及びWILSON Labグループと共に開発を進めてきました。そんな開発の賜物である「BURN」のラケットラインが世界中のテニスプレイヤーの役に立てる事を誇りに思っています。」