2007/7/ 6 -- 秋山英宏のテニス・ツアー潜入記
セルビア旋風、ローランギャロスを席巻
【フレンチオープン雑感】3人とも才能豊かな若い選手たちだ。でも、さすがに3人一度にハジけるとは思わなかった。男女のシングルス準決勝に進んだセルビア勢のことである。女子シングルス準優勝のアナ・イワノビッチ、同ベスト4のエレナ・ヤンコビッチ、そして男子シングルス・ベスト4のノバク・ジョコビッチ。ヤンコビッチは去年の全米に続く四大大会のベスト4入りだが、ジョコビッチとイワノビッチはグランドスラムで初めての4強入りだった。
四大大会の男子シングルスでセルビア出身の選手が準決勝に進んだのは、86年ウィンブルドンのスロボダン・ジボイノビッチ以来21年ぶりだという。当時の国名はセルビアではなく、ユーゴスラビア。旧ユーゴはジボイノビッチの他にもモニカ・セレシュ(現在はアメリカ=セルビア出身)やゴラン・イワニセビッチ(現在はクロアチア)を生んだテニス強国だった。
セレシュは73年生まれ。ジョコビッチとイワノビッチは87年生まれである。この14歳の違いは大きい。セレシュはチトー大統領政権下の比較的穏やかな時代に幼少期を過ごしたと思われる(本当のところは分からないが)。しかし、80年にチトーが亡くなると、ユーゴでは民族間の対立が目立つようになる。91年にはクロアチア、スロベニアなどが流血を伴いながら、独立。その後、99年のコソボ紛争では、北大西洋条約機構による空爆も経験した。ジョコビッチやイワノビッチは、まさに民族紛争と国家分裂の時代に育ったのだ。
彼らがテニスに専念するためには外国に拠点を移すしかなかったという。幼い頃からテニスをするくらいだから、恵まれた境遇の子供たちだったのだろう。とはいえ、生まれた国は分裂し、紛争や内戦が絶え間なく続いた。元は同じ国の住民が、互いに殺し合っているのである。悲惨なニュースを横目で見ながら、プロを夢見てテニスに取り組む彼らの心情は、どんなだったか。
ジョコビッチ、イワノビッチ、ヤンコビッチは、いずれもベオグラードの出身だ。一度だけ、その街を訪れたことがある。1990年、旧ユーゴが崩壊する直前だった。体制が崩れようとしている社会主義の国々を今のうちに見ておこうという、物好きな観光旅行だ。ベオグラードは美しい街だったが、色彩が少なく、どこかくすんでいた。街の中心を少し外れたところには、芝生の上に兵器を並べた軍事博物館があった。インフレが進んでいて、銀行で米ドルを両替すると現地紙幣の分厚い束が戻ってきた。駅の荷物預かりの係は、ずっと怒っているような口の利き方で、われわれ利用者は顔を見合わせて苦笑した。タクシーに乗れば、観光客と見て50ディナールのところを所を100ディナールよこせとふっかけてきた。それでも、人の良さそうな、素朴な人たちが多かった。
あのおじさん、おばさんたちもきっと、ローランギャロスでのイワノビッチの活躍には歓声を上げたに違いない。そして、あらためて平和の尊さを噛みしめたことだろう。
投稿者: フリーライター 秋山 英宏 日時: 2007年07月06日 10:28|パーマリンク|コメント: 0 »コメントを送る…