LOUISVILLE SLUGGER

LOUISVILLE SLUGGER

ルイスビルスラッガー誕生秘話

LS HISTORY

ルイスビルスラッガー(社名:Hillerich & Brads-by Co./ヒラリック&ブラズビー社)の創業者であるJ・フレドリック・ヒラリックは、1842年にドイツからメリーランド州ボルティモアに移住してきたヨーロッパ移民だった。ヒラリックは1856年にルイスビルに移り住み、そこで木工業を営み始めた。顧客からのあらゆる注文に応じ、手すりやベッド枠などの木工品を製造し生計を立てていた。後にルイスビルスラッガーバットの生みの親となるバド・ヒラリックは、彼の長男として1866年に生まれた。

history_Hillerich父フレドリックのビジネスは順調で、1875年には20人あまりの従業員を雇うまでになっていた。息子のバドは、14歳になる1880年ごろから少しずつ父の木工業を手伝うようになった。当時、アマチュア野球の選手だった彼は、自らのバットを手作りするとともに、時々、チームメートのバットも作っていた。

社史によると、バドが1884年に地元ルイスビルの野球チーム、エクリプスに所属していたスター選手、ピート・ブローニングのために作ったものが、プロ選手が使用した初めてのルイスビルスラッガーバットだとされている。

ルイスビルスラッガー(社名:Hillerich & Brads-by Co./ヒラリック&ブラズビー社)の創業者であるJ・フレドリック・ヒラリックは、1842年にドイツからメリーランド州ボルティモアに移住してきたヨーロッパ移民だった。ヒラリックは1856年にルイスビルに移り住み、そこで木工業を営み始めた。顧客からのあらゆる注文に応じ、手すりやベッド枠などの木工品を製造し生計を立てていた。後にルイスビルスラッガーバットの生みの親となるバド・ヒラリックは、彼の長男として1866年に生まれた。

父フレドリックのビジネスは順調で、1875年には20人あまりの従業員を雇うまでになっていた。息子のバドは、14歳になる1880年ごろから少しずつ父の木工業を手伝うようになった。当時、アマチュア野球の選手だった彼は、自らのバットを手作りするとともに、時々、チームメートのバットも作っていた。

社史によると、バドが1884年に地元ルイスビルの野球チーム、エクリプスに所属していたスター選手、ピート・ブローニングのために作ったものが、プロ選手が使用した初めてのルイスビルスラッガーバットだとされている。

 

ある春の午後、17歳になったバドは偶然観に行ったエクリプスの試合中、スランプに陥っていたブローニングがお気に入りのバットを折ってしまうところを目にした。そこでバドはバットを自作しブローニングに渡したところ、彼は快く受け取った。翌日の試合にブローニングはそのバットを使い、3本ものヒットを飛ばしたのである。ブローニングはその強打力から「The Louisville Slugger(ルイスビルの主砲)」と呼ばれていたが、これが後にヒラリック家が製造するバットの名称の由来となるのである。

 

[caption id="attachment_12548" align="alignright" width="146"]ビート・ブローニング ビート・ブローニング[/caption]

バドのバット作りへの情熱とは反対に、彼の父であるフレドリックは生活木工品を作ることにしか興味を持たなかった。それでもバドはバットの生産技術に磨きをかけ、自動研磨機などにも投資するほど夢中になっていた。やがてバットビジネスは軌道に乗り始めた。初期のバットは地元ルイスビルの地理的位置にちなみ「Falls City Slugger」という名がついていた。その後1894年にその名称を変え「、LouisvilleSlugger」として米国政府に正式に商標登録された。バドは父のビジネスパートナーとなり、1897年に社名を「J.F. Hillerich and Son(J.フレドリック・ヒラリックと息子)」と変更した。

さらに成長を続けたJ.F. Hillerich and Son社は、1905年、ピッツバーク・パイレーツの内野手として活躍していた当時のスーパースター、ホーナス・ワーグナーと用具契約を結んだ。

彼はメーカーと用具契約を結んだ初めての野球選手となると同時に、その後数千人ものスターたちと契約をすることになるルイスビル社の契約選手第一号となった。

1911年、取引先でバイヤーとして働いていたフランク・ブラズビー(Frank Bradsby)を迎え入れた。彼は販売とマーケティングにおいて優れた才能を発揮し、会社の業績に大きく貢献した。1916年に彼はビジネスパートナーとしての地位を築き、社名は現在の「Hillerich & Bradsby Co.」と変更された。

[caption id="attachment_12549" align="alignleft" width="146"]自身モデルのバットを持って ポーズをとるテッド・ウイリアムズ 自身モデルのバットを持って ポーズをとるテッド・ウイリアムズ[/caption]

その後も順調な成長をとげたが、その背景には、アマチュア選手たちが自分の好きなプロ選手モデルのバットを購入するという当時の流行があった。1915年には初めての学生用モデルを発売。1919年には全米挙げての大規模なキャンペーンを打ち出すなど、戦略的にビジネスを展開させ、一年間に100万本ものバットを製造するまでになった。1923年ごろまでには、アメリカ一の販売を誇るバットメーカーへと成長をとげ、ベーブ・ルース、タイ・カッブ、ルー・ゲーリック、テッド・ウイリアムズなど、多くのスーパースターたちと契約を交わしたのである。


誕生から130年

バド・ヒラリックが最初のバットをピート・ブローニングに作ってから130余年。この間、ルイスビルスラッガーは1億本以上ものバットを世に送り出してきた。現在もメジャーリーグにおいては、約6割の選手たちがルイスビルスラッガーのバットを使用している。紛れもなく、野球史の中で最も愛されてきたバットブランドであるといえるだろう。時代が変わり、素材が加わり、パフォーマンスを求める技術の幅は年ごとに進化を遂げている。木工所から始まったバット開発は、今や限りない技術進歩とともに現代に受け継がれている。